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ヒーラーの気づき

観念とは

人それぞれが持つ人生のルールの事。これに反する場合、受け入れる事ができず、ネガティブなものと捕えてしまう。観念のリリースをしない限り、ルールに束縛され、観念にまみれた生活を強いられる。頭ではなく、ハートで理解できなければ、リリースできたとはいえない。


ハートを開くとは

対象を認め許す事。愛の行為であり、人との交流における最大の防御となる。字面で捉えれば、何で得も受け入れる行為のように思われるが、相手の正確な認識による的確な判断により、誤解の無い交流ができるのである。とかく苦手な相手や初対面の相手には、ハートを閉ざしてバリアを張る場合が多いが、見た目での判断となり、あげくのはてに後々、「裏切られた!」と後悔するが、実はハートを閉じた交流による、自業自得なのである。

愛とは

「愛って耐える事なのね。」というのが定番で、自分でもそうであったように、束縛や忠誠を求めたがるが、本質ではないようだ。愛とは、許し認める事が本質である。夫婦も30年近くなると、血のつながりだけがない血を分けた兄妹となり、セックスさえ人として犯してはいけないアヤマチのように思えてくるが、許し認めるということが愛であり、あきらめることこそが観念のリリースなのだということを学ばせてくれたように思う。

 愛は、実にシンプルであるが、束縛せず許し認めることは、非常に困難な事である。ヒーリングのすべてであり、実行あるのみ。

 

観たいものを見る

藤本先生に「見たいものが見えるようになってくる。」と2年前に言われた。このごろその意味がわかってきた。いわゆるリーディングのことだったのだが、当時はその認識が無かった。最近は、見たくなくても判り易く勝手に展開して行く。虚像がベールを脱ぎ、実像となる。ずっと以前から気付いてはいたのだろうが、信じたくなかったんだろうと、今そう思う。

自分でしか変えられない

この間、色々な人たちと交流してきた。ヒーリングという世界に憧れを抱いているだけでは、ハートを開いたり、観念をリリースしたり、愛を実践することはできないのである。自分自身が心底 「変わる!」と思わなければ今の状態から抜け出すことはできない。ヒーリングによる導きはできるが、自分が変わることを認めなければ、絶対に他人には変えられないのである。自分で変わるつもりが無いのに、宗教にすがったり、精神世界に救いを求めても、何も変わらないんだ。

困ったことがあると救いを求めて拝み屋の大先生のところへ行く知り合いがいる。見ていると、いついかなるときも自分では解決をせず、人任せの傾向がある。自分自身を見ず、理想の自分が自分だと思い込んでいる。ダメな自分を自分と認めず、客観的に自分を見ている。それを教えても、気づこうともしない。私の愛も限界まで達している。他人は変えられないという自分の学びなのだと思う。学んだので、さよならしようっと!

支配欲

自分が自由であるのと同時に、他人も自由である。従って、自分の思い通りに他人をしようと思っても、それはできない。愚かなるは、人間なり。

学びのレベルの違いについて

人には好き嫌いがあるが、学びのレベルが上がらないうちは、嫌いなものとの係わりを断ち切ることは困難である。人は自分の好んだ生き方をしているが、邪魔をされないのと同様に、邪魔をしてはいけない。観念のリリースをし学びが得られれば、愛で受け入れられるが、それまでは影響を受けざるを得ないのである。ノー天気で勝手に自分よがりの観念のリリースをしている人は多いように思うよ。

とにかく自分でいる

どのような状態にあっても、自分でいることは難しい事の用に思う。特に依存の強い人間は、何かにしがみついていることで、自分がある。しがみつく対象が正しいものだとしても、自分が自分でなければ、その中で溺れてしまうのである。自分が良い方向に劇的に変化しても、感謝はしても傾倒することは依存につながっている。お気付きだろうか?

雰囲気とは

人はそれぞれに雰囲気を持っている。その人が暮らす